仕事をすること…会社の為?自分の為?

なんだかなぁ、社会人になって悩まされる大きな課題。

昔いた会社の知人の方が言われていた言葉
「原理原則を抑えればいい!」
結構それが心に残っている。

「企業」という中での原理原則としては「利益を出すこと」(そりゃ儲けな企業価値は何?)
「社会人」という中での原理原則としては「社会に貢献すること」(納税もそうだよね…)
だと思っている。

「企業」は「社会」へのボランティアではない。
「社会人」は「企業」のモノではない。
ただそこに「企業」と「社会人」との契約があるだけで、
双方の意見が近い形でやり取りがあるのが理想だと思う。

資本主義の中では原理原則は「利益を出すこと」>=「社会に貢献すること」で。
オープンソースの原理原則としては「利益を出すこと」<「社会に貢献すること」
なんだと思っている。

「利益を出すこと」を最終的に結果としてだすなら、
「社会に貢献すること」ができる人材を「確保」するか「育てる」しかないと思ってる。

「確保」も「育てる」も現実的に難しいと思ってる。
ならせめてしておいた方が得なことは、今会社にいる「社会に貢献すること」ができる人材を
「留保」することじゃないでしょうか?

ITという業界に限った話ではないですけど、それも転職イベントが年中されている今は難しい。

今はホトンド聞くことなんかないですけど「愛社精神」を持ってもらえるような企業に
していくことが「利益を出すこと」への近道だと思う今日このごろ…
「企業」がすることもそうだし、社内の人どうしが接することもそういう考えは必要かと…

そういったところで、𠮟咤することの多い自分は褒める事を覚えなきゃダメなんだよなぁと思う。
もちろん褒め過ぎても調子にのる人もいるので、そこら辺は人により対応が必要です。
あとは「企業」が「社会人」との契約の上で割り振ってる「責任」と、
「社会人」が「企業」との契約で受け取るもの
(給与やったり、休暇やったり、福利厚生だったり、サポートだったり…)のバランスが
とれてるかどうかも大事だと思います。







う〜ん、自分の家庭のためにもやっぱ「褒める事」は大事ですよね…
あんま「褒められる」ことをされず暗黙の抑圧を与えると,「これは当たり前だ!!」と思う、
こんなヒネクレタ人間になるかも(ぉぃ)
いろんな占いでも結構「天の邪鬼」みたいな
※それが「責任感」とか「義務」と思えることで役立つこともありますが、
感動が薄くなったり、役割が自分に無いと思うと他人に「責任」を抑圧しちゃうことに 
なっちゃうのでお勧めしません(爆)
※※「誕生日大全」によると対照的な要素が入り混じってる人のようなのでまぁ環境だけでなく
   元よりヒネクレてるわけですが…